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    2008年08月27日

    ●求める真実

     ちょっち意見を頂いたので、返信がわりにちょっくらお話でもしよーかね。
     ま、無駄に長くなったんで興味ある人だけ見てくれ。

     主題は、「何が真実か」という思考について。


     先週の話だが、世間からそこはかとなく注目されていた裁判の判決が下った。
     事件のことを書くのが面倒なので、該当のニュース記事を引用させて頂く。

     福島県大熊町の県立大野病院で平成16年、帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死の届け出義務)違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決公判が20日、福島地裁で行われた。鈴木信行裁判長は、医療行為と患者死亡との因果関係を認めたうえで、措置自体は一般的な医療行為で過失はなかったなどと判断し、加藤被告に無罪(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。

     手術時の判断をめぐり、執刀医の刑事責任が問われたこの事件の公判では、「過失は明白」とする検察側と、「手術は適切だった」とする弁護側が全面対立。子宮に胎盤が強く癒着する「癒着胎盤」という珍しい症例に対し、胎盤を剥離(はくり)する行為を続けた医療行為は適切だったのか▽危険は予見できなかったのか▽警察に届け出なかったことは医師法違反に該当するのか-などが争われていた。

     判決では、胎盤剥離開始後の大量出血の大部分は、子宮内壁の胎盤を剥離した部分からであり、被告の剥離行為と女性の死亡に因果関係があったと認定。大量出血自体も予見は可能だったとした。

    引用元 産経ニュース

     要約すると、「事前に予知できないレアなケースに対する対応を行わないと過失になってしまうのか。また、過失かどうかを問われる【刑事事件】になってしまうのか」というところが注目され、医学・医療の関係者から強い反発があった。
     というのも、実際ここで無罪判決が下ったわけだが、該当の医師は、逮捕されたことや、2年半医師としての活動はできなかったことで、人生を大いに狂わされたのは言うまでもない。
     医学は発達しても、どうしても救えない命はある。そのあたりは私にだって理解があるし、そもそも出産という行為が、母体を危険にさらす行為だということは多くの方が認識しているだろう。
     そこにきて、正当な手段ではあったが、結果的に死亡してしまった今回のケースが罪に問われる(結果的に無罪だろうが)ことがあれば、誰が医師を目指すのか。これが認められなければ、医師は全ての命を救えなければ犯罪者になってしまうという批判は大きかった。被害者VS医師ではなく、検察VS医師という、民事ではなく国が行った【刑事裁判】だということが大きな問題だったのだ。

     医療崩壊の発端と言われたこの事件、特に産婦人科医は既に崩壊直前であることはこの数年前から言われていた。女性医師でないと嫌だという患者の生理的問題に加え(実際男性医師による不法行為があったこともあるしねぇ)、医師数が少ないことによる勤務の激化などが悪循環を引き起こしているところに、この事件はトドメを刺しかねないということで話題にもなった。

     詳しい事は、医師側の見解になってしまうが、
     ある産婦人科医のひとりごと
     では、検察・弁護双方の意見とそれに対する見識を纏めているのでわかりやすいと思い。

     さて、どうしてこんなクソ真面目な話題を持ち出しのかというと・・・

     裁判とは真実を明らかにするものだ。いや、実際真実なんて明らかにならんことの方が多いわけだが、それはこの際おいといて・・・
     この裁判において、死亡してしまった女性の遺族がこういった発言をしている。

     

    渡辺さんは判決前、「なぜ事故が起きたのか、なぜ防げなかったのか。公判でも結局、何が真実かはわからないままだ」と話した。

     あの日、妻(55)から「生まれたよ」と連絡を受けて病院に向かった。ハンドルを握りながら、娘に「もうすぐクリスマスとお正月。二重三重の幸せだな」と声をかけようと考えていた。

     病院に着くと悲報を聞かされた。1か月前、左足を縫うけがをした渡辺さんを、「体は大事にしなよ」と気遣ってくれた娘だった。

     帝王切開で生まれた女の子と対面した娘は、「ちっちゃい手だね」とつぶやいたという。これが最期の言葉になった。娘の長男が「お母さん起きて。サンタさんが来ないよ」と泣き叫んだ姿が脳裏から離れない。

     「警察に動いてほしかった」と思っていた時、加藤医師が逮捕された。

     「何が起きたのかを知りたい」という思いで、2007年1月から08年5月まで14回の公判を欠かさず傍聴した。証人として法廷にも立ち、「とにかく真実を知りたい」と訴えた。「大野病院でなければ、亡くさずにすんだ命」と思える。公判は医療を巡る専門的な議論が中心で、遺族が置き去りにされたような思いがある。

     引用元:読売ニュース 

     公判が進んでからはそうでもないが、事件当時のマスコミの医師へのバッシングというか遺族よりの記事の数々には正直呆れたもんである。で、この記事もそんな遺族よりな記事だが、そういう問題の以前に、明らかにおかしな点をピックアップして結びつけていると思うのだ。

     「真実はわからないままだ」

     本当にそうだろうか?

     近しい人を亡くした気持は理解できなくはない。
     この遺族の方(+記事を書いた人)の「真実」とは、「警察に動いてほしかった」という事件発生当時の考えからして、最初から「これが医療ミスである」という形で固まってしまっているのではなかろうか。そうでない判決が出たために「真実がわからない」という我儘を言っているようにしか見えない。


     真実というのは結局のところ「当事者」にしかわからないことが多い。だが、今回のケースでは確かに裁判自体は医療の専門的な議論だったかもしれないが、事の経緯、つまり「何故おこったのか」というのはもうわかっている。「癒着胎盤」というレアケースに対して特別な対応を行わず、通常通りに処置を続けた結果、女性は亡くなったのだ。
     だが、そもそも争点は「何が原因か」ではない。原因はわかっているから、そのレアケースに対しての医師の行動が、「正当であるかそうでないか」が争点なのだ。
     それはもう「真実」を求めることではない。司法として、医師の判断が適切かそうでないかを判断することである。それには多様な見解がある可能性はあるだけだ。
     遺族の言っていることは、筋が通ってないどころか、裁判とは別のところを根ざしている。
     
     求める真実が最初から決まっているから、見識がねじ曲がる良い例ではなかろうか。

     まあ・・・感情のぶつけ先が「敵」であればすごく楽だし、そういった感情が芽生えて先入観に支配されたら俺も同じことをやらかしそうだけどさ、それはフェアじゃないでしょう。

     おいらも検証する際に、経験からある程度の予想をつけることは多い。きっとこうだろう、きっとこういう結果になるだろうと。
     だが、それは必ずしもそうではないこともある。それについてその事実を隠匿することはない。いや、する人はいるかもしれんけど、それこそ最初から真実を決めつけてしまってる例だろうよ。

     「真実」を求める場合、それは結果から得るものであり、最初から決まってはいないはずだ。
     というか、そもそも真実が決まっている(わかっている)なら求める必要がないのだ。それを認めるか認めないかは別の問題で、やっていることが最初から矛盾していることになる。

     先の例ならば、遺族がしたかったのは「真実を求める」ことではない。
     「自分たちの望む結果を認めさせる」ことであったのだろう。
    (もっとも、本当に「何があったのか理解できてない」のなら真実を求めていたのかもしれんが・・・
      ま・・・それはもう、専門的とかそういう言葉で語るほど高いレベルな話ではないわな.
      だいたい判決は遺族側ともいえる検察側の言い分を「認めた上で無罪」にしてんだから)


     我々の行う検証作業は、残念ながら見えない部分は非常に多い。絶対的な真実を求めることができず、100%を知りたいが仕方なく99%を求めるようなことになってしまっている。
     私がここに書くのは自分の行った結果と、そこから得られた見識だが、それは必ずしも「真実」ではないかもしれない。反論や疑問を抱くことはどんなに精度を上げても防ぐことはできないことも承知している。
     だが、望む結果を認めさせたいならその結果とやらを提示するべきだ。それが真実なのかそうでないかはその後に各個で判断すればいいことだ。

     我々は「真実」に近づくため、より多くの結果を求めるにすぎない。
     ・・・ま、だから道楽なんだがね。

     1次情報以外の情報を全て安易に信じるなっていうこともそうだけど、

     真実を求めることと、結果を認めさせたいってことは、
     全然違う意識から来るもので、オレがやりたいのは前者
     後者をしたい人は相応の行動をしましょうよ

     っていうお話でした。

    余談であるが、マスコミと違い、医師界と世論がこの遺族にあまり味方しないのは、

     ・1回目の出産時に帝王切開をしており、
      2回目の出産に対し危険な体であり「妊娠すべきではない」と告げたが、
      その上で女性は妊娠、出産を選んでいる
      (医師のいうことを信じて覚悟した上での判断か、信じなかったか不明)
     ・病院側は危険だと判断し、万が一を考えて転院の話を持ち出したが経済的な理由で拒否
      (医師のいうことを信じなかったか、信じても実行できなかった)
     ・安全を考えて子宮摘出の打診をしたが3人目がほしいという理由で拒否
      (医師のいうことを信じて覚悟した上での判断か、信じなかったか不明)

     という事前の出来事に対し、
     事件発生後、

     ・病院から説明がなかった
     ・何で転院させなかったのか

     という発言をしただけでなく、
     そんな無茶苦茶な言い分から医師に対し墓前で土下座を要求したからである。

     なので、個人的にはこの遺族に同情をできる感情を持てないどころか嫌悪感しか持てないので、遺族の方に対し批判的な文になっている点はご容赦願いたい。

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    コメント

    真実を分かってようが無かろうが、それとは無関係に真実はあると思ってるんだけど。

    例えばその時点でのある当事者が何を思っていたのか、それを真実であるとして、それを誰にも話さないまま今になってから思い出すとその時と違うことを思い出したら、その人は嘘を付いてないのに食い違って真実がいくつでも、バーローは間違ってる。記憶は事実から作られるけど、=じゃないよね。


    裁判なんて、実際の事件を元にしてはあるけど二次創作な調書を読みながら、「ここパクリじゃん」みたいに過去の判例と比べるだけ。別に事件に興味がある訳じゃない。

    明確なルールはあるけど、ファジィな選手と審判で、納得のいく試合結果を出さなきゃいけない。

    バーロー様は間違ってるけど、あの物語の中なら「起きた出来事」に対する「真実」は絶対的に1つだからアレでいいんじゃね。
    って、もう5年くらい読んでないから自信持って言えないんだけど。

    この裁判は興味があったからというか、そもそも「刑事裁判になってしまったこと」自体に対して興味があったからちと違うけど、裁判の結果も経過もやり方すらもどうでもいいかなぁ。ソレに対して俺はとやかく言う気もないし。

    言いたいことは、
    「真実を求める」ってんなら最初から決めつけちゃいかんてこと。
    多様に存在するかもしれないその内の1つだけを他者に認めさせたいなら、その1つが認められるレベルになるまで精査すりゃいいじゃんってことね。

    ま、例に出した事例は刑事裁判で、しかも争点からすれば元来遺族は蚊帳の外なんだけどさ。(だから遺族のコメントの内容は余計ズレてるんだけど)

    事実はひとつ、真実はそれを知る人全員分。というのが持論のひとつ。

    仮に『ロボがサイノメを殴った』という事実があったとして
    ロボにはロボの、受けたこっちにはこっちの真実があると思うしね。
    某雷嫁の指令で殴ったとか、Mだからあえて受けたとか

    ロボが書きたかった意図に対してのコメントじゃないかもしれないけど、珍しくコメントしてみた。

     医者(病院)と言うものに対しては私は一定以上の力量や環境であれば事故は仕方がないと考えてる。
    一定の説明を受け、医師ができる事を頑張った結果みたいだし尚更かな。

    ただ、祖父を亡くした時父が『頑張ってくれたとは思うが情が感じられない』と言っていたのを思い出す、家族を亡くすという事実は重いのだ、と再認識してしまうね。
    普段父は他人にどうこう言わないし、私は祖父をじっと見てて医師についての印象はうろ覚えですが。

    持論てか、真実ってそういうもんじゃないかなぁ。
    というか、真実が1つだけっていうなら、それはもうデジタルな考え方しかできん世界で、世界そのもののあり方を変えないといかんと思うぜよ。ネトゲの世界の俺らがやるような検証はそれでいいのだけどさ。

    医者がどんだけ頑張ったって、それが伝わらない、見えてこないってのは仕方ないかなぁと。命が相手じゃ、結果が全てってレベルじゃないといかんだろうしさ。どんな理由があろうと、頑張りましたがダメでした、で納得しきれないと思うしね。
    でも、そこで納得できない部分を自分たちの真実で端的に攻撃転嫁するのはやっぱフェアじゃないと思うんだよね。
    しかも、これは刑事裁判だしさ。民事というか、医師対遺族ならそれでいいかもしれんけど、国まで医師を攻撃したら、誰が頑張っても命を救えなかった医師の後ろ盾になるんだよってところで、俺はこの裁判というか事件自体がどーかしてるって思ったわけだ。

     兄が医者をやっている私としてはまあ、全く関係がない話というわけでもなく。
     もっとも分野が大分違いますけど、やっぱり助からないことってあるんですよ。


    > 医者がどんだけ頑張ったって、それが伝わらない、見えてこないってのは仕方ないかなぁと。

     そのときの兄の様子を見る限り、伝えようとしても受け入れてくれないってケースが多いみたいですね。
     医師側の過失がなくても攻められるケースで多いのは急患みたいです。たらいまわしにされた挙句タイムリミットをオーバーしていて、間に合わなかった……といったことも現実にありました。
     そのとき遺族から攻められるのは自分達の仕事だとか兄がいってましたけど、実際すごかったですからね……仇といわれればそれまでなんですが。


    > 命が相手じゃ、結果が全てってレベルじゃないといかんだろうしさ。どんな理由があろうと、頑張りましたがダメでした、で納得しきれないと思うしね。

     医者側の意見に近づきますが、納得させると言うより説得するのが不可能に近いんですよね。
     説得のためには注意、理解、納得、決意のプロセスが必要ですが、まず遺族側は「注意」する点を(恐らく無意識のうちに)ずらしてしまい、当然前の段階で躓いてるので「理解」できるはずもなく、納得も決意もしてくれない、といった状態になりやすいんです。
     それが酷く現れたのが今回の裁判なのかなと。
     兄のケースの場合は裁判まではいかなくてもいろいろと被害は被ったし、数週間は働けなかったりとしましたが、最終的には納得、決意をして貰えたので成功例になるんでしょう。 

     今回の裁判がおかしいと言うことに同意します。
     まあ、中立の立場ではないのが、あれですが。

    受け入れないってのはあるわなぁ。

    俺のじーさんはまさしく時間オーバーで亡くなってんだ。病院につくのがあと10分早ければってのは医者の談。たらい回しって言葉もナンだけどさ、受け入れ先がすぐに見つからないせいでってのが事実だ。
    オレは当の現場にはいなくて、終わった後になって駆けつけたんだけど、医者の顔を見た時に、こいつらがもう少ししっかりしてたら実は助かったんじゃないかって、自動的に頭が考えを身近で感情をぶつけやすい相手の、それも仮定で自分の都合のいい形の話にすりかえるんだよね。
    あれってたぶん、本能的なもんだろうなって今振り返ると思える。
    責めるべきは制度や今の社会だろって答えは出てるんだけどさ、やっぱ見えない敵よりも見える敵が攻撃しやすいからさ、そうであった方が解決不能な感情の行き場をつくりやすいじゃない。
    オレはそこで踏みとどまったけどさ、それは後から駆けつけたからかもしれないし、正直現場にいたらどうなっていたかはわかんね。
    しかも今回の事件の場合は、時間でも医師の判断でも、制度でもなんでもないじゃない。完全に自分たちで飲みこむしかないわけさ。
    それは理解できるんだ。

    でもそれで医師を攻撃するのは、とんでもなくズレてるとしか思えんのよ。まして他の病院なら、他の医師ならって思うなら、尚更その医師を責めちゃいかんだろうよ。

    せれさんの言うとおり、初期段階でズレたのが結局ズレっぱなしなんだろうと思う。時間経過で感情が収まったりすれば、変わってくるんだろうけど、きっとそれも起こらなかったんだろうよ。
    そこで警察が動いちゃって逮捕・送検・起訴となっちまったのは頂けないよなぁ。民事だったら別にここまで問題にならなかったろうし。

     そうですね……制度も然りですが、やはり責められるべきは社会なのかもしれません。社会の一部として医師も患者もいるわけですから。


     なんとなく今回のマスコミの立ち位置は「医療事故」という決め付けから発生したものというより、それをわかった上で報道しているような印象です。
     日本のマスコミと警察は優秀なので、政治家やら財界のトップに何かがあると偶然にも大きな事件が発見されたり解決されたりしますからね。

    本題からえらい外れるけど、
    今回のマスコミや警察・検察は、引き際を逃しただけだと思うんだよね。
    当時は医療ミスや医師の不法行為、救急車のたらいまわしの問題は確かにひどかったし(たらいまわしは誰が悪いわけでもないけど)。
    そこにきてこういった問題が出た時に何時もどおりにバッシング的に報道、行動したけど、いざ蓋を開けて中身をみたら、それはまったくそれらとは別に次元の問題だったわけだ。
    検事の人の「

    無罪判決後に手のひらを返してる報道機関もあるし、多くの人はこの裁判の結果がどっちに転んでも、その裁判があったことで傷ついたり何かを失ったりした人はいても、得をする人がほとんどいないことにはとっくに気づいてたんだと思いますよ。

    「この事件で、医師の注意義務や説明責任を喚起できたことは無駄ではなかったと思う。しかしその代償はあまりにも大きすぎた。医師の責任を問うことの難しさを痛感した」
    っていう捜査本部の方のコメントがすべてを表してるかなぁ。
    本当・・・代償が大きすぎたと思います。

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