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    2008年02月19日

    ●真

     拍手の返信で1つのエントリーを使ってみる。

     いやーだって単純にネタがないんだもーん。

     で、お題は、

     「検証しても突き詰めたとこまで話をすれば事実は得られないこともある」

     ってことね。

     例えば、「特定のモンスターの攻撃力」のような、実際の数字がはっきり出てくるものなら、比較的真実に近づくことが容易なわけだけど、それにしたってだし、相方がやってる魔法バランスの調査や、火矢のクリティカルボーナスなんかのような、実際に数値化したものを見ることができない情報は、どこまで検証しても100%の精度の情報にはなりえないというお話。

     例えに出した火矢のクリティカルボーナスがクリ0%の状態で、
     「保護4の敵を攻撃したらクリが出た、保護5の敵だとクリが出ない」
     という検証結果を得られたとしても、本当に保護5だと出ないのかは誰にも証明できない。その試行回数が1万回だろうが10万回だろうが、ひょっとしたら出てなかっただけで実は出るかもしれないという可能性を消すことはできない。
     もちろん、情報の精度としては試行回数につられてよくなるけど、それは決して100%の精度には成り得ない。

     で、ここからは価値観が関わってくる。
     試行回数100回程度の情報だって信用できる人もいれば、1億回やっても信頼できない人もいる。
     0%か100%という絶対的な数値しか「そうである」と信用しないってのは至極全うな話。でもそれは、裏を返せばコンマ1%にも満たない可能性があれば「そうでない」と信じていることでもある。
     99%を信じるのと1%を信じることのどちらが正しいかなんて突き詰めて言っても見えやしない。だから、反論する人は反論するだろうし、疑念を持つ人は疑念を持ち続けるわけで、そいつを否定することだってできやしない。

     見えないものは何やったて真に近づけるだけで、真にたどり着くことなんてできやしないってことやね。
     で、99%の精度の情報を否定したいなら、同じだけ、もしくはそれ以上のことをやって否定する以外に、数多の人を納得させる方法はないってわけ。
     でも、後発の情報ってのは、それを示すのが当人一人じゃ信憑性が著しく落ちる。異端な内容として捉えられる可能性の方が高い。だから第三者による観測が必要になる。

     まあ、要するに、おいらたちのような検証スキーが何をどう検証しても、見えないものを追い続けるのなら、誰か他の人が同じ事象を観測しないと効果が薄い。

     ところが、現実に検証作業ってのは、やったところで自分に利益があるわけじゃない。
     いや、多少の優越感とかはあるかもしれんけど、それが何の足しになるかって言ったら何の足しにもなりゃしない。
     しかも、立証できたところで大した意味はないんよ。

     例えば、おいらが今すげー気にしてるカウンターのクリについてだって、戦闘スキーな人なんかはとっくに経験則から自分の見解を持っていて、それらのプレイヤーが答えらしいものを持ってはいるわけさ。だから、今現状のマビの文化が成り立っているわけ。
     二刀流のスマッシュの計算式がはっきりしなくたって、おおよその予測式でほとんど事足りる。
     魔法バランス式だってわからなくたって、おおよそで何発、何チャージでならこいつは大体倒せる、ってのを理解できる。
     ってことは、それらのより真実に近い情報が得られたところで、カウンターを使った戦闘ががらりと変わるわけでもないし、二刀流スマッシュによる確殺戦術が変容するわけでもないし、魔法使いの戦闘が一変するわけでもない。
     逆に、その文化を否定する結果が出たところで誰も信じやしない。物好きな誰かが検証して同じ結果が出ない限りは。
     第一、今まで誰も気づかなかったこんな事実が検証によって得られました!なんてことは早々滅多にない。つか、これだけ多くのプレイヤーがいて、そういった事象を感じ得ないことの方がよっぽど奇跡だ。そういう意味では実装当初の正宗の入手ルートの話は、よっぽど不具合だった(実際には箱以外に入手ルートなんてなかった)って方が説得力がある。

     ・意味が薄い
     ・得られるものがない
     ・おまけに疑う余地もある
     ・しかも、自分が発表した内容は見る側になれば所詮は劣化した二次情報でしかない

     こんなの、やるだけ無駄だって考えた方が世の中生きてく上で楽だろうよ。
     だから、検証ってのは道楽でしかない。
     真実を追い求めても永久に絶対の真実にはたどり着けないし、真に近づいたところで得られるものはないと。

     ま、だからおいらは何度もこう書いてるわけですよ。

     「気になったなら自分でやってみるしかない」

     ってね。

     自分の目で見たものは、他の誰のものよりも信頼できるっしょ。情報の精度如何は関係なくね。一次情報ってのはそれだけ有無を言わさない説得力がある。それが正しいのか間違っているかも関係ない。他人から自分が納得させられるのは難しくても、自分で自分を納得させるのはそう難しいことじゃない。
     問題なのは間違いだとわかっても、納得させることと自己否定は別ものだから簡単にできないってことなんだけど、それはまあ少し別のお話。

     検証なんてその気になりゃ誰でもできるけど、じゃあ実際誰もがやるかって言ったら答えはNO。そんな見返りのないことをやる人は、物好きかやることのない暇人のどっちかでしかない。オレは両方に当てはまるんだけどさ。だからやった人間が偉いとも思わない。

     どこまでいっても道楽、自己満足でしかないんだよ、ということです。

     って、書いてたら日付変わっちまったじゃねーか。
     ったく、マビやってブログ書いてるのか、ブログ書くためにマビやってるのかわかんねーな、おい。

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