●リアルとネット
ちょこっとmabinogiの話ではないというか、まあ、この記事を書こうと思ったのはmabinogiのせいなんですが・・・
まあ、最近は色んなところでインターネットリテラシーなんて言葉を耳にする。
出会い系やらでの事件しかり、小学生とか低年齢の犯罪とかでも話題になってるし、特にブログという自己発信の形式が「ただの流行」から「確立されたWEBのスタイル」になり、mixiが流行したくらいから爆発的にこの単語を耳にするようになった。
事件性はないものだけど、ブログのコメント、きちんと関連する記事を書いた上でトラバ送ったら、「見ず知らずの人がいきなりコメント(トラバ)するのはマナー違反です」みたいなこと言われたとか、そんな問題もあったなぁ。ま、これは日本特有のブログ文化(主流がただの日記)と、トラバツールとか自動TBとかわけのわからんものができたのと、スパムのせいで起こってしまったのだろうけど。受けても送り手も相手のことを考える。これ極当たり前だけど、難しいよね。でも、ネットって簡単に意思表示くらいはできるし、うちだって←に「リンクフリー」って一言書いてあるっしょ。こういうのしとくだけでも、えらく問題は少なくなると思うんだけどなぁ~
と、今日はそんなインターネットリテラシーについて、
「リアルとネット」という内容で考えを語ることにしたわけです。
日本人の特徴として、ネットと現実のギャップが上げられる。もともと大人しい日本人だが、どういうわけかネット上ではやたらと過激というかハメを外す傾向にある。うちの超絶神がいい例だ(笑)もっとも、あれは意識してやってるから無意識にハメを外すのとはだいぶ違うのだろうけど。
日本人の大人しさ、紳士的な態度は世界的にも評価は高く、最近だったか先週だったか、某米国社の「旅行者」に対する調査で、欧州のホテルが挙げる「良い旅行者」で日本は堂々の第1位に輝いている。
人目があるときの日本人は、実に礼節を重んじる種族。だが、人目がなくなると途端に変わるというわけだ。ネットでの変化もまあこれに該当する事例であるといえる。ネットという環境が「匿名性」や「近くに人気を感じられない」などの「ある程度の壁」を持っている環境だからに他ならない。
それでも、ここ最近までそういった過激さが露骨に問題になることは少なかった。ネットは現実の延長線上、という考えが根底にあった人が多かったからだろう。
ま、「ネットは現実の延長」というとおり、リアルで成功した事例は大概ネット上でも成功するし、逆にリアルで問題になるようなこともまたしかり。楽天市場なんかわかりやすい例だけど、あれは要するに今も出店が相次いでいる大型ショッピングモールを単にネット上に構築したに過ぎない。テナント集めて、場所代とかとるってパターン。こういうと、なんか誰にでもできそうなもんだが、あの当時にそこにいち早く着眼し、環境やサービスを確立させていけることなんざ誰にでも出来ることじゃないわな。
閑話題休、まあとりあえずネットでの個人は、「ある程度の壁」という部分に守られてるとこがあるけど、その実そこは所詮は現実世界の延長線なわけだ。ま、ネットがあるのも、それを利用するのも「リアルワールドにいる人」なんだから当たり前といえば当たり前。
で、近年のケータイの普及(特に低年齢世代)、mixiに代表されるSNSやらブログの普及は、その存在感を一気に希薄なものにしてしまった。もう少し正確に表現するとすれば、「おかしな境界線」を持っているネットユーザーが増えたというべきか。特にmixiで「本名をはじめとする個人情報」を垂れ流しにするってのがまずかった。ネット上では異例な「個人情報を晒しているのに流行った」のは、mixiが閉鎖空間で、リアルの繋がりを軸に広がるコミュニティだったからってのはあるけど、あのmixiのスタイルをネットのイメージとして定着させた人は少なくないだろう。この辺は西鉄バスジャック事件後に2ちゃんねるに触れたネット初心者たちと似てるかもしれない。
日本は、ネットが急速広まったのに対し、それに対する教育がまるで追いついていない。
確かに「誰も教えてあげないから仕方ない」なんて意見もあるし、現在の日本はネットの教育が小学生からあるっちゅーのに、リテラシーについてはまるで教えられてない。(これはおいらの小学生の弟どもでばっちり確認済み)まあ、今後の教育の課題にもなるだろうが、それはそれ。
今、現在、そういったリテラシーを持っていない人たちだっているわけだしね。出会い系サイトがらみな事件の被害者は80%以上が18歳未満とかいう現実もある。日本人のロリコン化はちょいと危険な域なんじゃないかとか思うがそれはまた別件。
出会い系なんてのは個人情報はおろか最終的に現実で生身を晒すのだから、当然のように危険度も高い。
しかし、そうでなくともネットでは有名なところで、いわゆる「JOY祭り」、「きんもーっ事件」、「エアロバキバキ事件」等に代表されるような、新聞や週刊誌にのったり社会に影響する事例もある。
自分の個人情報をさらけだし「ある程度の壁」を自分から崩したばかりにおこる悲劇。
例えばの話だが、後者のブログ炎上系だって現実世界で仲間内だけにしていればこんな問題にはならなかったはず。仲間なら「お前、マジ!?それ、やばくね?」とか「あははは!お前すごいなー」で流されてもおかしかない。もちろん、やっていることそれ自体に問題があるからこそえらいことになったわけだが、WEBで発信しなけりゃ、きっとここまで話題になり多数の人から攻撃されるようなことはなかったという話。
あまつさえ個人を特定できるであろう情報を不特定多数の人が見る可能性がある場所に表示するってのは、ネットでも危険だが、んなもん現実世界でだって十分すぎるほど危険だろう。
じゃあ、なんでまたそんなとんでもないことができるのか。
それは、先にあげたとおり、「境界線」にあるんじゃないかな。
「常識」だとか「一般的」だとか「普通」だとかいう言葉と同じな「モラル」や「マナー」。全体的な視点だと錯覚しがちだが、個人が語る以上は、それはやはり主観的なものでしかない。個人個人まったく同じ意識をもっているわけでもない。個々に少しのズレや認識の違いはどうあがいたって出てくる。
だが、その中でも逸脱したものは当然のように冷たい視線を浴びることになるわけだが、問題はそれはいざそういう場面にならない限り当人には「逸脱している」と認識されないということだ。(図太い神経してりゃ逸脱しているとも気づかないかもしれないけどさ)
だからこそ、現実では周りの空気や様子を伺いながら行動し、距離をとったり、態度を変えたり言葉使いに気を使ったり・・・そういったものを意識的にだったり、無意識に学んでいく。
だが、ネットでは他者の目が感じずらい。
故に、これだけ開けているネットという世界なのにも関わらず、やたら閉鎖的に考える人も多い。このページを見るのは自分の周囲の人間だけとか思ってたり、身内だけのコミュニティが、そのコミュニティの「常識」や「マナー」が、現実の仲間内での常識がネットの全てだと誤認している人もいるだろう。
時間的、空間的に現実ではおこりえないことが、ネット上にはおこっている・・・そこに実際の目はないけど、世界中の人が「見る可能性がある」ということ。その点を図り間違えると、危険な認識を持っちまう。
そういった、自分たちと他者の間に「ありえない境界線」を引いてしまうから、あたかも「自分のブログ」や「自分のホームページ」、さらには「自分のよくいくホームページ」、「ゲーム内」のそれら全てが自己の周囲で展開されていることのように錯覚をしてしまいがちだ。
勘違いしちゃいけない。
ここは果てしなく開けた道のど真ん中。
SNSの中もゲームの中もそれは同じこと。ただ少し範囲が狭くなっただけにすぎない。
システムや、できることの制限、色々と現実世界とはできることできないことが違うが、ここは紛れもなく「現実の延長線上」なんだというとを、くれぐれも忘れちゃいけないと思う。
これがインターネットリテラシーの大前提じゃないかな。
個人の感覚ではあるが、リアルに例えれば、ゲーム内はいわばテーマパークの中のようなものだと思ってる。オンラインゲームなんざ所詮はゲームだが、その中にいるときの自分は、果たしてリアルと同じなのか?RPして違う人になりきるってのもあるかもしれんが、やっぱリアルと同じように、プレイ中の意識はある程度の大衆的なマナーやモラルの範囲内に収めておかないといけないと思うわけですよ。
そういうのって、言うほど簡単に見定められるものじゃないけど、感じ取っていったり、周囲の意見やスタイルから得ていかなきゃいけないんじゃないかな。
ま、別においらが何か嫌な思いしたわけでもないんだけど、ちょいと思うところがあって書いておいた次第です。
誰に向けて書いたのかなんてものでもないのだけど、まー少しでも思い当たる点があるなら直していこうぜ~、みたいなね。
オレもこうありたいと思っているが、果たしてできてるかどうか、そんなのは他人に判断してもらうしかないから、自分じゃなんとも言えないしね。
ネットという場所に居場所を作ったなら、そこに居場所を求めたなら、そこで活動する術(リテラシー)は得ておこうぜ!っていう、そんなところで逃げ。